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 創始者の横顔

河野忠男 筋診断協会前会長  筋診断という名前をつけたのも、この独特の治療法を編み出したのも、ひとりの鍼灸師の努力の賜物でした。

 その鍼灸師とは、河野忠男(筋診断協会前会長、以下先生の敬称をもって紹介してゆきます)です。(カラー写真は2005年2月20日の研修会にて講義されている河野忠男先生です)

 先の戦争で出征して復員してまもなく、鍼灸治療の道に入り、島根県の田舎町で開業しました。まだ30代のことです。その後、脈診を学び、さまざまな徒手療法も学びつつ、アプライドキネシオロジー(応用筋肉療法)に出会い、これを自習するうちに、筋肉操法と経路理論を結び付けてひとつの治療体系を作りあげることに成功しました。

 はじめのうちは、鍼(はり)の技法のひとつとして用いていましたが、どんどん改良が進み、鍼のかわりに小さな磁気粒を使うようになり、診断にも磁気を用いて的確に治療する経を特定できるようになりました。こうして筋診断は鍼灸から独立し、一般にも門戸を開く画期的な心身調律法として島根県浜田市で産声をあげ、世に出ることになりました。今から20年ほど前のことです。

河野忠男 筋診断協会会長  河野先生は、他の治療者にもまして研究熱心で、努力家だったといえますが、なによりも新しいことや独特の発想にたいして偏見を持たず、自分で確かめ、納得するまでいい加減にすませることをしないところがありました。

 20年前(1980年ころ)はちょうど健康法として太極拳が流行りだしたころでしたが、河野先生も太極拳をされはじめました。浜田から車で2時間以上もかかる松江まで、毎週通う熱心さでした。間もなく河野先生は太極拳の仲間の人気者となり、その縁は今もずっと続いています。というのは、松江の太極拳・気功の仲間が河野先生と、そのころはまだ稚拙な筋診断を全国の気功愛好家たちに紹介したからでした。

 河野先生は筋診断を治療家のための新技法として学会などに何度も発表しましたが、反応は芳しいものではありませんでした。
 鍼灸師や医師は自分の技術水準が一定の域に達して収入が安定すると、それまでの技能や既成の理論とは別に新たに学ぶ向学心をなくしてしまう人が少なくないのです。

河野忠男 筋診断協会会長  せっかくの新理論新技術が既成の業界にあまり好意的に迎えられないことを肌で感じた河野先生は、一方で故間中喜雄博士(1987年没、日本東洋医学会評議員。鍼灸トポロジー学会会長。北里研究所付属東洋医学総合研究所客員部長)の学会に参加して研鑚を積み、他方で太極拳や気功に親しみながら、雌伏の時を過ごしていました。
 1986年、河野先生はそれまでの研究成果をまとめて『筋診断法』を上梓しました。この著作は、翌年、鍼灸業界の雑誌『医道の日本』が年間のすぐれた研究に対して授ける、新設の間中賞を受賞することになりました。間中賞は長年東洋医学の普及研究に功績のあった間中博士の名にちなむものであることはいうまでもありません。
 こうして筋診断法は、この業界で一目置かれる存在になりました。同士が河野先生をもり立て、筆頭顧問に間中喜雄博士をお迎えして日本筋診断協会を設立したのは1988年のことです。

文章と白黒写真は日本筋診断協会のホームページより引用

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